十国春秋卷六十四 南漢七 列傳 謝貫

謝貫

  • 謝貫は功を積んで将軍となり、もとより胆勇があり、鏖戦(激戦)を好んで一時に名を取った。乾和九年(951年)、潘崇徹とともに郴州を攻めたとき、ちょうど唐の援軍が来たが、その将の辺鎬を義章で打ち破り、ついに郴城を陥落させた。これによって嶺表(嶺南の地)はますます広がった。

史論

  • 論じて言う。呉懷恩が地を攻め城を略取する勢いは、朽ちた木を引き裂くかのようであり、熊や羆のごとくであった。これはまさに恥じるところがないというべきである。呉恂は機に応じて謀を巡らし、その神算に遺漏はなく、将としての謀略があった。謝貫は勇烈の名を負い、郴陽の一戦で疆土を平定した。要するに、高祖(昭陵)が武を奮い赴くところ敵なしであったのも、これら諸臣がまさにその第一の功労者であったからである。