陳用拙
- 陳用拙、本の名は拙、連州の人で、用拙とはその字である。少くして礼楽を習い詩歌に工み、成長してからは字をもって顕われた。唐の天祐元年、進士第に擢され著作郎を授けられたが、梁王朱全忠の所為を心に悪んで、仮に使節を借り南に帰り、烈宗に清海節度同平章事を加えるを助けて烈宗はこれを留用した。まもなく梁王全忠は帝位を簒(うば)って開平と改元したが、用拙は力めてなお天祐の年号を奉ることを勧め、烈宗はその義を多とはしたが用いることができず、そのまま掌書記に留まり観察判官を摂した。
- 烈宗の病革(あらた)まるに及び、用拙は表を撰して高祖に留後を権知することを請うた。高祖が継立すると、ますますこれを信任した。乾化四年、呉越に使いして武肅王と語ったところ、その専対を嘉し金帛をもって甚だ厚く賚った。用拙は遜謝してこれを高祖に献じた。高祖が自立して皇帝となると、用拙を吏部郎中知制誥に擢した。久しくして卒した。詩集八巻が世に伝わった。とりわけ音律に精しく、『大唐正声琴籍』十巻を著し、琴家の論操の名、および古の帝王・名士の琴を善くする者を載せ、また古調で徴音を欠くものを新徴音の譜若干巻をもって補った。