十国春秋卷五十四 後蜀七 列傳 趙崇溥

餓死して降らず

  • 趙崇溥は、史書にその家系が伝わっていない。広政年間、威武軍都監であった。当時、周の将である王景らが陣営を連ねて鳳州を包囲し、韓通はさらに兵を分けて固鎮に城を築き、西川からの援軍を絶った。まもなく城が陥落し、節度使の王環はすでに捕らえられ、崇溥および将士五千人はことごとく周の兵に捕虜とされたが、崇溥は頑として降ることを肯んぜず、数日間絶食して死んだ。