王承丕の乱を討つ
- 孫欽は幽州安次の人である。人となり果断で才幹があり、権謀にも長けていた。高祖および後主に仕え、官を歴任して左奉聖都指揮使に至った。広政年間、郭延鈞が武徳軍を判していたが、監押の王承丕と折り合いが悪かった。
- 承丕はひそかに謀反を企てていたが、たまたま孫欽が部下の兵を率いて辺境の防備に赴く途上、承丕に暇乞いに立ち寄ったところ、承丕は無理やり彼を連れて延鈞に会わせに行った。至ると、詔命であると称して、側近に延鈞を撃ち殺させ、その一族を皆殺しにした。
- 欽は急いで詔書の紙を出して衆に示すよう求めたところ、承丕はすかさず「私はあなたに富貴を与えることができる。詔書など問う必要があろうか」と言った。欽はこれが反乱であると知り、そこで欺いて言った、「今、内外がまだ安定していない。私が部下の兵をもってあなたのために巡察いたしましょう」と。すぐに鞭を振るい馬を躍らせて出て行ったが、承丕が繰り返し呼んでも戻ってこなかった。
- 欽は陣営に至ると、部下たちに告げて言った、「承丕は非道にも、みだりに府公(延鈞)を殺した。これが反乱でなくて何であろうか。まさに衆とともにこれを誅すべきである」と。そのまま兵を率いて府に入り承丕を攻めた。承丕の側近は防戦しようとしたが、欽が真っ先に前に進んで叱ると、みな武器を捨てて逃げ、承丕を捕らえて階段の下で斬り、その親族・党与ともども首を成都に伝えた。