十国春秋卷四十七 前蜀十三 列傳 段義宗

生涯

  • 段義宗はもと南詔の布燮(すなわち宰相)である。乾徳年間、判官の賛衛・姚岑らとともに聘問に来た。段義宗は朝拝しようとせず、髪を削って僧となり、「大長和国左街崇聖寺賜紫沙門銀鉢」と号した。
  • 成都に至るに及んで、群臣が「僧には自ずと膜拝(合掌礼拝)の作法があります。下拝させるべきです」と上奏したので、段義宗はやむを得ずついに属国の礼を行った。
  • 段義宗はもとより詞章を善くし、「詠大慈寺芍薬」「三学院経楼」および「題判官賛衛聴歌伎洞雲歌」などの詩があり、その言論・風采は当時大いに人目を引いた。国師の常瑩・辨広・光業の輩と偈語を酬酢(やり取り)し、大いにその弁舌に屈服させられた。しばらくして帰国を告げ、鴆毒に遭って卒した。