生涯
- 唐文扆は、高祖の時代、宦者として内飛龍使となり、宰相張格と親しかった。後主が太子となることができたのは、実は唐文扆が順聖太后の寵愛を挟んで張格に諷(それとなく)勧めてこれを賛成させたからであった。これによって順聖太后は内心これに感謝し、張格もまた付和して姦を為し、毛文錫を追放し庾傳素を左遷したのは、唐文扆の力が多いものであった。
- この時、高祖は年老いて昏耄(ぼけ)ており、唐文扆は禁兵を掌握し、機密の事は大小となく皆その手に決した。高祖が病むに及んで、兵を率いて宿衛に入り、諸大臣を尽く除こうと謀り、人をやって宮門を守らせた。王宗弼ら三十余人は日々朝堂に至ったが入って謁見することができなかった。
- さらにその党の皇城使潘在迎に命じて外部の事情を偵察させたが、潘在迎は事が敗れることを慮って、その謀を王宗弼に洩らした。王宗弼らは戸を排して入り、唐文扆が変を為そうとしていると(皇帝に)言上した。翌日、唐文扆は眉州刺史に貶されたが、まもなく官を削られて雅州に流された。後主が即位すると誅に伏した。弟の天雄節度使文裔もまた殺された。