十国春秋卷四十四 前蜀十 列傳 杜齯龜

要約

杜齯龜は、もと秦(長安付近)の出であった先祖が安禄山の乱を避けて蜀に移り住んだ家系に生まれた。若くして博学で経史を広く渉猟する一方、絵画の技は人の意表を出るほど巧みで、初め常粲を師として肖像画・雑画を学び、とりわけ仏像・羅漢の画に長じた。

乾徳年間、後主は高祖が唐の恩を受けたことにちなみ、唐道襲の私邸を改めて上清宮とし、遠祖にあたる王子晋(王喬)の像を上清の祖殿に祀った。この時、杜齯龜に命じて唐の二十一帝の御容を殿堂の四壁に描かせている。さらに高祖の肖像や太后・太妃の真影を青城山金華宮に描かせ、道士杜光庭の像を君平観に、祐聖天師光業の像を大聖慈寺に描かせるなど、王室・道観にまつわる肖像画事業の多くを一手に担った。官は翰林侍詔にまで進み紫金魚袋を賜り、蜀で肖像を描く者の中では第一人者とされたという。同じ巻の割注には、王保晦・盧延讓・庾傳昌ら同時代文人にまつわる逸話も付記されており、盧延讓が「同文賦」の句をめぐって同僚にからかわれ翰林を罷免されたとする異伝や、尹鶚・張蠙ら詩人の逸話も紹介されている。

現代語訳全文

生涯

  • 杜齯龜、その先祖はもと秦の人であったが、安禄山の乱を避けてついに蜀に住んだ。
  • 杜齯龜は若くして博学で経史を渉猟し、丹青(絵画)の技は人の意表を出るほど妙であった。初め常粲を師として肖像画・雑画を学び、とりわけ仏像・羅漢の画に巧みであった。
  • 乾徳年間、後主は高祖が唐の恩を受けたことをもって、唐道襲の私邸を改めて上清宮とし、王子晋(王喬)の像を作って遠祖とし、上清の祖殿に置いた。杜齯龜に命じて唐の二十一帝の御容を殿堂の四壁に描かせた。
  • また杜齯龜に命じて高祖の肖像および太后・太妃の真影を青城山の金華宮に描かせ、また杜天師光庭の像を君平観に、祐聖天師光業の像を大聖慈寺に描かせた。
  • 杜齯龜は官が翰林侍詔にまで至り、紫金魚袋を賜った。蜀の人で肖像を描く者の中では、杜齯龜が第一とされた。