十国春秋卷四十 列傳 李師泰

李師泰

  • 李師泰は初め高祖および晉暉らとともに唐の僖宗の随駕五都の一人であった。しばらくして忠州刺史として外に出、最後には高祖に従って西川に入り、官を重ねて蜀州刺史・節度判官となり、司徒を加えられて卒した。武成元年、高祖は有司に勅して追贈の礼を議させた。
  • そもそも乹寧年間、師泰が成都の錦浦里に邸宅を造営した際、巨大な古墳があり、煉瓦がきわめて堅固であった。その煉瓦の外側から金銭数十枚が出土した。それぞれ重さ十七、八銖、直径七、八分、円形で穴がなく、縁から二分ほど内側に模様が浮き彫りされ、その内側の両面には蕃字(異民族の文字)二十一字がそれぞれ鋳込まれていた。急ぎ使者を青城山に遣わして道士杜光庭に問うたところ、その地形を測って、石筍の南百歩の地点にあたるとし、すなわちその石筍がこの墓の欠けたものだと知れた。以後たびたび霊験を現したので、高祖は祠堂を改め置いて龍神としてこれを祀り、それ以後は他の異変はなかったという。