十国春秋卷三十九 前蜀五 列傳 王宗本
王宗本
- 王宗本はもと姓を謝、名を従本といい、陳敬瑄に事えて資簡都制置応援使となった。髙祖が成都を攻めると、従本は雅州刺史張承簡を殺し城を挙げて来降した。髙祖はその功を録し、敬瑄が平らげられるに及んで養って子とし、姓名を王宗本と改めた。まもなく渝州刺史に抜擢され、まもなく官を罷めて成都に帰った。天復三年、宗本は出兵して荊南を取ることを請い、髙祖は宗本を開道都指揮使に署し兵を率いて峡を下らせ、䕫州刺史侯矩を降し、ついに䕫・忠・万・施の四州を定めた。まもなく武泰留後に遷った。武泰軍はもと黔州に治所があったが、宗本はその地に瘴癘(風土病)が多いとして治所を涪州に徙すことを請い、髙祖はそれによりこれを許した。