十国春秋卷三十九 前蜀五 列傳 王宗弁

王宗弁

  • 王宗弁はもと姓を鹿、名を弁といい、髙祖は今の姓名を賜って子とした。初め髙祖に従い、宗瑤・宗弼・宗侃とともに西川に入り、功を積んで蜀州刺史に至った。ある日、病と称して罷免を請い成都に帰った。髙祖はその功に矜(おご)って望みを抱いているのではと疑い、検校太保を加えたが固辞して受けなかった。宗弁は常に人に「廉なる者は足りて憂えず、貪なる者は憂えて足りない。私は小人でありながら位はここに至った、それで十分である。どうして進むことを求めてやまないでよかろうか」と言った。髙祖はその志を嘉してこれを許した。ついに善終を得た。