十国春秋卷三十九 前蜀五 列傳 王宗阮
王宗阮
- 王宗阮はもと僰道の土豪で文武堅という。剣器の舞をよくし、時に「文大剣」と号された。髙祖が陳敬瑄を攻めたとき、武堅は戎州刺史謝承恩を執えて来降した。成都が平らげられるに及んで姓名を王宗阮と改め、決勝都知兵馬使を領した。まもなく開江防送進奉使に充てられ兵七千を率いて瀘州に趣き、まもなく瀘州を破り刺史馬敬儒を殺した。峡路の故東川の門戸はこれによって初めて通じた。宗阮の力である。髙祖はただちに宗阮に渝州を知らせた。天復四年、趙匡凝が䕫州を攻めると、宗阮は師を率いてこれを撃ち、匡凝は敗走した。宗阮は後に病で卒した。宗阮はかつて瀘州で方山廟に神を賽(まつ)ったとき、夜半に牲の腸(いけにえの内臓)が犬の子に食われたが、まもなく雷震の声を聞くと、白衣冠の人が堂に上って事を涖(のぞ)み、獠鬼(山地民の鬼)が十数輩、階下を奔り走り、一人の黄衫の者を捕えて「お前は祭祀の供物を盗んだ者ではないか」と責め、これに笞(むち)打つこと十五。翌朝見ると犬の子の尻が潰れ血肉の中で転がっており、みな驚いて異とした。