十国春秋卷三十四 南唐二十 列傳 楊保宗
要約
楊保宗は出自の知れない女性で、幼時から聡明で優れ、成人の儀を終えてすでに嫁ぐことが許されていたが、あるとき突然悟るところがあって女道士となることを願い出、廬山の上霄峰にある崇善観に籠って穀物を断ち体を鍛え、たちまち世俗の思いを忘れて修行に打ち込んだ。丹薬や符籙をもって人々の病苦を救ったところ、その評判を聞いた南唐の元宗は彼女を都に召して禁中に招き入れ、道を楽しむ妃嬪たちに引き合わせた。金銭千万を寄進させて崇善観の堂宇を新しく修めさせたうえ観に額を賜い、尚書郎の韓熙載に勅して記文を撰させ、さらに保宗自身にも紫衣を賜り、群臣に詔して詩を作らせこれを餞(はなむけ)とするほど手厚く遇した。保宗は年すでに老いていたが、その容貌はなお子供のように若々しかったという。亡くなったのちもその容貌は生けるがごとく変わらず、棺を持ち上げるとたいへん軽かったため、人々はこれを肉体を残さず仙界に去る「尸解」を遂げたのだと考え、代々語り伝えた。彼女に類する隠逸・道術の人としては、同じ南唐の地に、酒に酔い革袋に縫い込められても平然と眠り「化書」を著したという譚峭や、鉄の砧を刀子で細かく切ってはまた元通りに合わせるという奇術を見せた潘扆といった不思議な人物たちの逸話もあわせて伝えられている。
現代語訳全文
尸解と伝えられた女道士
- 楊保宗はどこの人か分からない。幼い頃から爽やかで優れており、笄礼(成人の儀)に及んで嫁ぐことを許されていたが、突然感ずるところがあって悟り、女道士となることを願い出て廬山に入り、上霄峰の崇善観に棲んで、穀物を絶ち体を鍛え、たちまち世俗の思いを忘れた。時に丹薬や符籙をもって人の病苦を救った。元宗はこれを聞いて特に闕に召し赴かせ、禁中に招き入れ、妃嬪や道を楽しむ者に彼女に会わせた。金銭千万を寄進させてその堂宇を新しくし、また観の額を賜り、尚書郎の韓熙載に記を撰するよう勅し、また保宗に紫衣を賜って臣下に詔して詩を作らせてこれを送らせた。保宗は年すでに老いていたが顔色は子供のようであった。亡くなったのちも容貌は生けるがごとくで、棺を挙げるとたいへん軽く、人々は尸解であると考えた。