十国春秋卷三十四 南唐二十 列傳 譚峭

『化書』を宋斉邱に奪われた道人

  • 譚峭、字は景昇。もと唐の国子司農であった洙の子である。洙は進士の業をもって教え諭したが、峭は黄老の書をひどく好み、嵩山の道士に師事すること十余年、辟穀養気の術を得た。夏は烏裘(黒い皮衣)を身につけ、冬は緑の布衫を着、あるいは風雪の中に日を経て横たわり、人々はすでに死んでいるかと思って見ると、気は騰々として盛んであった。久しくして南嶽で丹を煉り、成って水火に入り、姿を隠して見えなくなることができるようになった。そこで屩(わらじ)を履いて三茅山を遊歴し、道すがら金陵を過ぎたとき、宋斉邱に仙骨があるのを見た。機智に溺れてはいるが衆人とは異なるものであると思い、著した『化書』を取り出して斉邱に授け、「この書はその道が無窮に化するもので、どうして序して後世に流布させないでいられようか」と言った。斉邱はそのまま奪ってこれを自らの著として伝えた。その後、青城山に入って仙人となって去った。