十国春秋卷三十四 南唐二十 列傳 潘扆
要約
潘扆は大理評事潘鵬の子で、若くして和州の鶏籠山に住み、薪を樵り採って親を養う孝子であった。常に江を渡って金陵に至り秦淮口に舟を泊めていたが、ある大雪の日、同乗を求めてきた老いた男を敬って快く許し、酒を買って共に飲んだ。流れの中ほどで酒が尽きると、老人は髻に隠していた小さな瓢箪を取り出して傾け、いくら注いでも尽きなかったため、扆は驚いてますます敬った。岸に着くと老人は、扆の孝心と道気を見込んで道術を授けた。
以後、扆は江淮を往来しながら「野客」「潘仙人」と称され、水銀を掌中で白金に変えたり、池の落ち葉をすくって地に散らすと大小に応じてみな魚に変わり水に棄てるとまた葉に戻ったり、見たこともない書物を暗誦して的中させたりと、数々の不思議な術を見せた。
海州刺史鄭匡国のもとに身を寄せた際、馬廏のそばに宿らされる粗末な扱いを受けていたが、狩に出た隙に匡国の妻が住まいで見慣れぬ二つの錫の丸薬を見つけたことから正体を疑われ、扆は剣の気を制御し損ねていたら首と身が離れていたところだったと明かして匡国を驚かせた。匡国は烈祖に扆を推薦し、扆は紫極宮に住んで数年後に没した。臨終に尸解を予言して桐の棺での簡素な埋葬を望み、烈祖はその通りにさせたが、後に元宗が墓を発いても異常はなかったという。
現代語訳全文
老父から道術を授かった孝子
- 潘扆は大理評事の鵬の子である。若くして和州に居し、鶏籠山で薪を樵り採って親を養った。常に江を渡って金陵に至り、秦淮口に舟を泊めたとき、老父がいて同乗を求めてきた。扆はその老いを敬ってこれを許した。折しも大雪で、扆は酒を買って共に飲んだが、江の中流に至って酒が尽きると、老父は髻の中の頭巾を解いて小さな瓢箪を取り出し、それを傾けたが、いくら飲んでも尽きなかった。扆は驚いてますますこれを敬った。岸に着くと、老父は扆に「お前は親に事えて孝であり、また道気がある。教えられる」と言い、そのまま道術を授けた。
- 扆はこれより江淮の間を往来し、しばしば不思議な術を現し、自ら「野客」と称した。世ではあるいは「潘仙人」と号した。水銀を手の中に置いて掬うと、すぐに白金となった。常にある人の家に入って、池に落ち葉がたいへん多いのを見ると、主人に「これで遊戯ができます」と言い、これをすくい取らせて地に散らすと、葉の大小に従ってみな魚となった。さらにこれを水に棄てると、葉はまた元のようになった。また見たことのない書物を暗誦することができ、あるいはこれを束ねて封じてその中に点竄塗乙(訂正の書き込み)があっても、すべて誤りなく言い当てることができた。
- 常に海州刺史の鄭匡国に身を寄せたが、あまり礼遇されず、馬廏のそばに宿らせられた。ある日、匡国に従って近郊で狩をしたとき、匡国の妻が廏中に行き、扆の住まいが四方の壁も何もなく葦席と竹笥だけであるのを見て、笥を開けると二つの錫の丸薬を見つけ、頗るこれを怪しんだ。扆が帰ってこれを検めて調べると、大いに驚いて「何者の婦人が私の剣に触れたのか。私がその光芒を制御していなかったなら、身と首が離れ離れになっていただろう」と言った。ある者がこれを匡国に告げると、匡国は驚き恐れて「剣客なのか」と言い、その術を学ぼうと求めた。扆は「しばらく一つ試してみましょう」と言い、そこで共に静院に至り、懐から二つの錫丸を取り出して掌に置くと、まもなく気が指先から出て、二筋の白い虹のように匡国の首を旋回して纏わりつき、錚然と音がした。匡国は汗を雨のように流し、「先生の術は神業です、これに勝るものはありません」と言った。扆は笑って手を引いてこれを収め、また錫丸に戻した。匡国は烈祖に上表して推薦し、また丹方を献上させた。召されて紫極宮に居すること数年で卒した。扆は臨終に際して上言し、桐の棺を近くの地に埋葬するよう乞い、後に尸解(仙人になって体だけ残す)することになるだろうと言った。烈祖はこれに従い、中貴人(宦官)に護送させて金波園に葬らせた。保大年間、元宗はその墓を発いて観たが、ついに異常なところはなかった。