十国春秋卷三十三 南唐十九 列傳 木平和尚

「九十」を「乙」で反転させた予言

  • 木平和尚は保大年間に金陵に至り、人の禍福・死生を知り、その言うところは多く的中した。元宗は百尺楼で彼を召見したが、木平は楼を指して「ここは火を望むによろしい」と言い、初めはその意味がわからなかった。淮甸で戦が交わるに至って、龍安山に烽堠(のろし台)を置いて江北に応じ、常にこの楼に登って動静を観察したので、その言葉はついに的中した。
  • また慶王がまだ幼かったとき、元宗が「寿命はいかほどか」と問うと、木平は「郎君(若君)は聡明智哲であり、あらかじめ九十年の事を知っておられます」と言い、そのまま「九十」に「乙」の字を添えて書いてこれに与えた。後に慶王が薨じたとき、享年十九であった。その「九十」と書いて「乙」の字を続けたのは、その「九十」を乙(回転させて逆さにする意)にして「十九」としたのである。
  • 一説には、木平が元宗に会ったとき、木の缾(瓶)を杖頭に掛けており、突然その缾を引いて自らを蔽ったので、元宗はこれを見ることができなかった。後にこれのために宮側に寺を置き、そのまま木缾寺と名づけたという。