十国春秋卷三十三 南唐十九 列傳 僧應之

柳公権の筆法を継いだ能書の僧

  • 僧応之はもと王姓で、その先祖は閩の人である。文章をよくし、柳氏(柳公権)の筆法を習い、書をよくすることで江左に冠たるものであった。初め進士に挙がろうとして一度有司に落とされると、冊(答案)を投げて罵り「私はわずかな章句をもって庸人に評価を取ろうとは思わない」と言い、そのまま髪を剃って僧となった。保大年間、紫衣を賜り、『楞厳経』を書写するよう命ぜられ、完成するとこれを元宗に上呈した。元宗は「これは深く公権(柳公権)の法を得たものだ」と言った。応之の書名はこれによりますます高まった。右街僧録に遷されたが、固辞し奉先禅院に居することを求めたので、これを許した。応之は著述が多く、とりわけ音律を好み、かつて讃礼の文を諸々の楽譜に寓し、その声は少し低く始まり最終的に梵音に帰した。讃念(詠唱)が律に協うことは応之から始まった。