十国春秋卷三十 南唐十六 列傳 潘慎修

理知ある弁明

  • 潘慎修は字を成徳といい、尚書の承祐の子である。父の任により後主に仕えて起居舎人となった。宋の軍が南侵すると、後主は慎修を遣わして江国公従鎰に従わせ、宴を買う銭を貢がせ師を緩めることを求めさせ、懐信駅に留館させた。金陵が既に下るに及び、邸吏は従鎰を促して入って賀させようとしたが、慎修は「国は今にも亡びようとしているのに、何を賀することがあろうか」と言い、表を奉じて罪を請うだけであった。
  • 宋太祖はその体を得ていることを嘉し、太子右贊善に任じた。後主は表して慎修を書記に留めるよう求め、許された。後主が既に没すると、太常博士・直秘閣に改まり、官を歴任して翰林侍読学士に至った。真宗の時、江南の旧臣の多くは後主を暗愚と言う者があったが、真宗が慎修に問うと「煜(後主)はあるいは理に暗かったかもしれませんが、どうして十余年も国を保てたでしょうか」と答えた。真宗は深く奬嘆した。慎修は風度醞藉(おだやかで奥ゆかしい)であり、博く文史に渉り、多く道書を読み、清談を善くし、士大夫で交遊した者はみなその素な尚びを推した。