十国春秋卷三十 南唐十六 列傳 陳大雅

上流への使いと後主への諫言

  • 陳大雅は字を審已といい、後主の時、官は衛尉卿にあった。宋の軍が金陵を囲むと、陳喬は使いを遣わして囲みを冒し上流の援兵に趣かせようとした。後主は大雅に「審已は儒者である。平時から人の急を急とすることを尊んでいたが、無理を押して私のために一行してくれないか」と言った。
  • 大雅は再拝して「陛下は十余年来、心を焦がして士を養ってきましたが、群臣は報いることができません。万一の倉卒の際には、臣は万死に値します。しかし愚見では、覆水の勢いはほとんど図りがたく、たとえ威霊を承っても成し遂げられないのではと恐れます」と言った。
  • 後主は「私は平生禅学に耽ることを喜び、世の味には淡泊であった。先帝が世を去られたとき、正嫡ではないのに天から与えられず、順序を越えて即位したのは私の本懐ではなかった。江を割いてより中朝に身を屈し、常に罪を得ることを恐れ、いつも脱屣(退位すること)を思っても方策がなかった。今、ついに大討を煩わすことになったが、私もどうして一日の辱を惜しもうか。ただ旅拒(籠城)が既に長く、将来受け入れられないだろうから、上江の征戍を起こして声援としたいのだ」と言った。
  • 大雅はまた「上江の大帥である朱令贇は諫言を拒み自分の考えに固執し、遠謀がありません。頼みにするに足りないのではと恐れます」と言った。後主は色をなして「諸臣は平日には稷・契を高談するが、目下はただ任蠻奴(自分の身の安全)のための計しか思っていない。私もまた誰に命を託せようか」と言った。

出陣と入水未遂

  • その夕、詔して大雅に令贇らの軍を発するよう命じた。大雅はそのまま疾駆して軍に至り、令贇に道を倍にして勤王するよう勧めた。令贇は勢いが敵わないことを知り、大雅に「私は頭を賭して国家のために一死を効すつもりだ。卿とともに没するのは無益だ。卿は先に事を入って報告してはどうか」と言った。
  • これにより、矢石を冒して密かに金陵に入り、後主と対座して涙を流し「令贇の軍は必ず成功しないでしょう」と言った。城が陥ちた日、大雅は殿角の井に身を投げたが、衣が井桁に引っかかって死ぬことができず、兵士に引き上げられた。宋の将曹彬の命により後主に従って宋に入り、太子洗馬を拝したが、一年余りで忽然として卒した。