生涯
- 李貽業(一に彛鄴に作る)は、呉の起居郎李戴の子である。戴は官にあって卒し、そのため広陵に家した。貽業は昇元中、翰林学士の官にあった。烈祖が崩御されると、大臣たちは元敬皇后を奉じて監国させようとし、中書侍郎孫晟に遺詔を草させようとした。貽業は言った、「これは必ず姦人が詐って為したものである。大行皇帝は常々『婦人が政に預かるのは乱の本である』と言っておられた。どうして自ら乱の端緒を為すことを肯じられようか。しかも嗣君はすでに年長で明徳が世に聞こえているのに、どうしてこのような亡国の言があろうか。もし果たして宣行されるならば、貽業は百官に対してこれを毀(否定)するであろう」と。これにより監国の議は取り止められた。
- 元宗が即位すると、貽業に語って言った、「疾風勁草(激しい風に強い草が分かる)を卿に見た」と。奨慰は加えられた。保大中、兵部尚書に進んだ。卒すると諡して簡と言った。
- 貽業は性格が率直で気安く、酒を好み小節に拘らなかった。ある日、親友を召して宴飲し、過従(付き従う)者は甚だ多かった。貽業はすでに酔って樽の中を叩いて言った、「もともとこれで持て成そうとしたのに、酒興がたちまち来て自ら傾け尽くしてしまった」と。その疎豁(おおらか)なることはこのようであった。