十国春秋卷二十二 列傳 劉崇俊

経歴

  • 劉崇俊、字は徳修、楚州山陽の人である。祖父は金、父は仁規といい、代々濠州を統治していた。崇俊はこれを継いだが、仁規の政をことごとく反対にしたので、人々はその恩恵に懐いた。数年を経ると、しだいに専横で不法となり、多くの不逞の輩を蓄え、淮水を越えさせて略奪させ、美女や良馬を得て自らを養った。
  • 元宗が濠州を升格させて定遠軍としたとき、崇俊を節度使に拝し、その子節を太寧公主に配したが、元宗もまたその人となりを嫌っていた。たまたま壽州の姚景が死ぬと、崇俊は権貴に厚く賄賂を贈って壽州の兼領を求めた。元宗は表向きその意を理解しないふりをして、壽州への移鎮を命じ、楚州刺史の劉彦貞を遣わして急いで濠州に入りこれに代えさせた。
  • 崇俊は自ら計を誤ったことを悲しみ、かなり心を改めて法度に従うようになったが、まもなく病を得て卒した。年四十、太尉を贈られ、威と諡された。