十国春秋卷二十二 列傳 王彦儔

経歴

  • 王彦儔、蔡州上蔡の人である。若くして州の軍校となった。後唐の同光の末、諸郡は乱れが多く、彦儔もまた変事を喜び奮起しようとした。ちょうど同僚六人が来て謀り「天下は騒然としている。能力のある者が富貴を得るのだから、我々は人に後れをとってはならない」と言った。彦儔はこれを許諾したふりをして偽り「今夜私は府中で当直をしているから、あなた方は武器を持って来なさい。私も甲を着て内応しよう」と言った。
  • 夜になると、六人は約束通りやって来た。彦儔は剣を伏せていて、これをことごとく斬り、その首を持って幕舎の門を叩き、刺史を呼んで「奸賊が謀反を起こしたので、これを幸いその罪に伏せさせました。公は速やかに号令して衆心を安んじられますよう」と言った。刺史は驚き喜んで出て来たが、彦儔はこれも斬った。そこで罪を六人に着せ、自ら州事を掌った。
  • 唐の兵が討伐に来ると、彦儔は自ら守ることができないと計算し、妻子を村舎に匿い、父母を奉じて南に逃げた。烈祖が呉を輔佐していた時、都押牙とし、和州刺史を歴任し、初めて間使を遣わして妻子を迎え帰らせた。
  • 彦儔には政績があり、境内をよく撫でて治め、成績優秀者として朝廷に入り天威統軍を拝した。自ら凶暴な乱により身を起こしたことから、務めて小心謹慎に振る舞い、烈祖はこれを嘉賞し、常に堂に登ってその父を拝した。元宗の時に康化軍節度使に抜擢された。時に給事中の常夢錫が直諫のかどで判官に左遷された折、彦儔はこれを礼を尽くして厚遇し、あたかも朝廷にいるかのように処遇したので、人々はこれを称えた。数年居って任地で卒した。