十国春秋卷十九 列傳 岐懐獻王仲宣

岐懐獻王仲宣

  • 仲宣は後主の次子である。小字を瑞保といい、仲㝢と同日に封を受けた。仲宣は宣城公に封ぜられた。三歳で『孝経』を読み一字も遺さなかった。奏楽を聞けば音調を審らかにした。宮中の燕侍(宴席の侍り)は礼に合い、士大夫に出会えば容を改め顧揖(会釈)することがあたかも成人のようであった。昭惠后は絶えてこれを愛した。乾德二年、仲宣はわずか四歳であったが、ある日仏像の前で戯れていて大きな琉璃灯があり猫に触れられて地に墮ち、劃然(かちん)と音を立てたので、仲宣は驚いて癎(ひきつけ)を発し疾を得てついに薨じた。岐王に追封され懐獻と諡された。時に昭惠后はすでに病が甚だしかったが、仲宣の夭折を聞いて悲哀がさらに募り、数日で絶えた。初め仲宣が殁したとき、後主は昭惠后の心をさらに傷めることを恐れ、常に黙坐して飲泣し、詩を作ってその志を写した。吟咏すること数回、左右の者はこれがために涙を流した。

後主從子仲逺

  • 仲逺は後主の従子である。累官して戸部尚書となった。後主に従って宋に帰り右驍衛將軍を授けられた。

後主從子仲興

  • 仲興は後主の従子である。後主の時、刑部尚書に官した。国が亡んで宋に入り右武衛將軍を授けられた。

後主從子仲偉

  • 仲偉は後主の従子である。禮部尚書を歴任した。宋に帰って右屯衛將軍を授けられた。

後主從子仲康

  • 仲康は後主の従子である。殿中監に官し、宋に降って右領衛將軍となった。また殿中監の仲某がおり、これも後主の従子で、北遷して宋の監門衛將軍となった。