十国春秋卷十二 列傳 劉通微
劉通微
- 劉通微は術数(占術)に精通し、もとより宋斉丘に知られていた。乾貞初年(927年)、徐知誥が政権を執っていたが、徐温の将佐たちはこれを妬み、しばしば徐温の子である知詢に代えることを求めたので、内外は危うくなり、人心は定まらなかった。
- 宋斉丘はある夜、劉通微を召して共に宿泊させ、その事の成り行きを尋ねた。座ってしばらくすると、太鼓の音が聞こえた。通微は袖を払って立ち上がり、言った。「子嵩(徐知詢)の事は必ず途中で変事となるでしょう。政事僕射(徐知誥)は泰山のように安泰であり、多く心配する必要はありません。悪意を抱く者は、いずれ禍を受けることになるでしょう。この鉦太鼓の音は、しんしんとしていかにも大きな喪事があるかのようです。」
- その夜が明けきらぬうちに、急いで報せが届き、徐温が死んだとのことであった。