十国春秋卷十一 列傳 沈顔

太祖の神道碑を撰す

  • 沈顔は字を可鋳といい、湖州德清の人である。唐の翰林学士沈伝師の孫である。天復の初め、進士第に挙げられて校書郎を授けられたが、乱離に遭って湖南の馬氏のもとへ奔った。ほどなく帰順し、淮南巡官となった。
  • 官を重ねて礼儀使・兵部郎中・知制誥・翰林学士に至った。常に太祖の神道碑を撰し、当時の人はこれを推して鉅手(大家)とした。順義中に卒した。
  • 沈顔は若くして詞藻があり、琴・奕(囲碁)はいずれも神域に達した。当時の人はこれを評して「下水船」(水を下る船のように速く滑らか)と言い、文を作るのが精妙かつ速く、載せないものはなかった。
  • 性は閑澹(のどかで淡泊)で世の利を楽しまず、常に当世の文章が浮靡であることを憎み、古にならって百篇の書を著し、「聱書」といい、あわせて十巻であった。その自序には「孟軻以後千余年、儒者はみな聞くところがなかった。天はその極みを厭い、この鄙子(つまらぬ私)に付した」と言い、その誇大なることはこの通りであった。
  • また「解聱書」十五巻、「大紀賦」一巻、「登華旨」「象刑解」「時辨」「讒国」などの諸文、および「宣州重建小庁記」があり、世に行われた。