十国春秋卷十 列傳 李章

九十まで生きた老将

  • 李章は廬州廬江の人である(一に季章、定遠の人に作る)。中和三年、王稔とともに太祖の騎将となった。ほどなく朱瑾と相親しんだ。高祖の時、朱瑾が徐知訓を殺して自刎すると、徐温は入って朱瑾の党を誅した。
  • 李章は事を共にした六人とともに斬に当たり、五人がすでに斬られ、次に李章に至ったとき、彼は声を励まして「四郊は多塁(戦乱多事)であるのに、壮士を斬るというのか」と言った。時に監斬(処刑監督)の馬仁裕はその言を壮とし、これを徐知誥に聞かせて釈放させた。
  • ほどなく洪州に隷属して軍校となり、官を重ねて雄武軍都虞候・左街使に遷った。李章は老いても心はなお壮んで、士卒をよく撫で、職務に勤めた。
  • 睿帝の時、出でて百勝軍節度使となり、治めるに厳重で、左右を禁戢(きびしく取り締まる)し、僚属を賓客の礼で遇した。
  • 南唐が禅を受けたとき、ちょうど周本が死んだので李章を廬州に移して鎮させ、中書令を加えた。昇元四年秋八月、卒した。享年九十。