十国春秋卷十 列傳 高審思

寿州を固守す

  • 高審思は若くして太祖に仕え、驍勇をもって軍中に名を知られた。劉信が虔州を平定したとき、高審思は裨将となってしばしば戦功を立てた。高審思は人となり厚重寡黙であり、斉王徐知誥はこれを竒(すぐ)れた者とし、常に親兵を綜領させた。
  • 禅代(南唐建国)に及んで寿州節度使を拝し、中書令を加えられた。城隍(城壁と堀)を増修し、守備は甚だ厳しかった。ある者が「公の威略をもってこの堅城を守るのに、何を懼れてこれほど臆病になるのか」と言うと、高審思は「兵機は変化に富み、懼れずにはいられない。備えあれば患いなし、これが上策である」と言った。
  • のち周の軍が南に寿州へ侵攻したが、ついに攻め破ることができず、人々はみな高審思の遺した功績を思ったという。享年七十八にして鎮にて卒した。諡して忠と言う。
  • 初め、術者(占い師)が「高審思の位は刺史には至らないだろう」と言ったことがあり、かつて常州刺史を拝命したが固辞して赴かなかった。しかしその後、位は将相を兼ね、終始富貴であった。術(占い)の信じるに足らないことはこの通りである。