十国春秋卷九 列傳 陳紹

梁兵を破るも呉越に奔る

  • 陳紹は宛邱の人で、驍果にして戦をよくし、勇にして謀多く、官を歴任して左驍衛大将軍に至った。
  • 梁の将王景仁が侵入したとき、陳紹は徐温に従って兵を率いこれを禦いだ。徐温は王景仁と趙歩で遇い、戦いはやや退いた。王景仁が軍を擁してこれに乗じ、まさに隘路に迫ろうとしたとき、諸々の吏士はみな顔色を失った。
  • 陳紹はにわかに槍を取って大声で「敵を深く誘い込んだ、今こそ進むべきときだ」と叫び、馬を躍らせて引き返して闘い、左右に衝突すると衆兵もこれに従い、鋒を摧き陣を陥れ、当たる者はみな辟易した。梁の兵はそこで退いた。
  • 徐温はその背をたたいて「お前の智勇がなければ、私はほとんど窮していただろう」と言い、金帛を賜って等級を加えた。陳紹はことごとくこれを麾下に分け与えた。
  • また霍邱で戦い、梁の兵を大破し、梁の屍を集めて京観(戦勝を示す屍の塚)とした。この戦役は高祖の時代の戦功の第一であった。
  • ほどなく叛いて呉越に走った。武義元年、陳璋が呉越の兵を香彎で破ったとき、徐温はその勇を惜しみ、陳紹を生け捕りにした者に銭百万を賞すると募った。指揮使の崔彦章がこれに応募して捕らえて連れ帰り、徐温はまた陳紹に兵を典(つかさど)らせた。