十国春秋卷六 列傳 李厚
李厚
- 李厚は蔡州の人で、もと孫儒の残兵であった。太祖は儒の兵数千を収容し、甲冑を着せ黒い衣で覆わせて「黒雲都」と号した。厚は黒雲隊長となり、驍勇をもって名を知られた。
- 朱延壽が壽州を治めていたとき、厚は実際に軍中にいた。ちょうど汴の兵数万が城下に迫って非常に急を告げた。延壽の軍制では、軍中は旗ごとに二十五騎であったが、厚に十旗を統率させて出撃させ、勝てなければ斬ろうとした。厚は衆寡が敵しないことを理由に、兵を増やしてもう一度出陣させてほしい、勝てなければ死のうと申し出た。都押牙の柴再用もまたこれを願い出たので、五旗を増やした。厚は死力を尽くして戦い、汴の兵はついに総崩れとなって敗走した。この時、厚の兵は千に満たなかったのに、汴の精兵数万を破ったので、淮南の人々は驚き服さない者がなかった。
- 厚の官は楚州団練使に至った。天祐十三年(916年)、光州の王言が乱を起こすと、高祖は厚に命じてこれを討ち平定させ、そのまま厚に光州の事務を代行させた。しばらくして卒した。