十国春秋卷五 列傳 戴友規

戴友規

  • 戴友規は廬州の人である。太祖の幕中にあって賓客となっていた。太祖が宣州を鎮めていたとき、孫儒と戦って不利となり、退却しようとして諸将を召して策を練った。
  • 友規は言った、「儒が来る気勢は鋭く、兵も多いので、その鋒先には当たることができませんが、その勢いを挫くことはできます。正面から敵することはできませんが、持久してこれを疲れさせることはできます。もし避けて退けば、それは自ら捕らえられに行くようなものです。淮南の士民で公に従って川を渡った者、および儒の軍から降ってきた者は非常に多くいます。公は将を遣わしてまずこれらを保護し淮南に送り帰し、生業を再開させるべきです。儒の軍がこれを聞けば、淮南が安堵していることを知り、皆帰りたいという思いを抱くでしょう。人心が既に揺らいでいれば、どうして敗れずにいられましょうか」。
  • 太祖はその計に従い、ついに儒の兵を大破した。

史論

評して言う。袁襲は幕中で謀を巡らし、その企ては見落としがなく、ほとんど張良・陳平に次ぐ人物であろうか。厳しさをもって寛大さを助けたのはやむを得ない事情によるもので、思うに時勢がそうさせたのであろう。高朂は農桑に務めることを志し、その仁者の言葉は温和で親しみ深い。戴友規はしばしば決策を進言し、独りその根本を探り当てた。謀臣の傑出した者と言うべきである。