貞觀政要過ちを悔いる(悔過第二十四)

貞観二年:学問を怠らず若き日を悔いる

  • 太宗は房玄齢に「人は学問を怠るべきでない。朕は羣雄未定の頃は東西を征討し読書の暇がなかったが、四海が安んじた今は人に読ませて聞いている。君臣父子・政教の道はみな書中にある」と語り、若い頃の行いを振り返って過ちを大いに悟ったと述べた。

編者按(戈直)

  • 『易』益卦の「善を見れば遷り、過ちあれば改める」を引き、太宗が定天下の尊きにありながら読書の善を知り若き日の過ちを改めたことを、益の道を知る者と評す。

貞観中:魏王泰の武徳殿移居を思い直す

  • 太子承乾が法度を修めない一方、魏王泰が太宗に才を重んじられ武徳殿への移居を特詔されたことに対し、魏徴は「魏王は寵愛されるほど驕奢に走らぬよう分をわきまえさせるべきで、かつて隠太子の弟海陵王がこの殿に居た前例もあり人の物言いを招く」と諫めた。太宗は「危うく思い違えるところであった、大きな誤りだ」と述べ、泰を本邸に戻らせた。

編者按(戈直)

  • 太子承乾の法度違反を知りながら魏王泰を重んじ武徳殿に移そうとしたこと自体が既に分を越えた行為であり、後の両者廃立の萌芽をここに見出し、天下の本(太子の位)を重んじるには慎みが必要だと評す。

貞観十七年:三年の喪を行えなかったことを悔いる

  • 太宗は「喪親の情ほど痛切なものはない。孔子は『三年の喪は天下の通喪』と説いたが、漢文帝以来『日を月に易える』短喪の制が行われ、朕もこれに倣ってしまった。徐幹『中論』の『復三年喪篇』を読み、その理の深さに今さら気づき悔やんでも及ばない」と悲泣した。

編者按(戈直)

  • 孟子の「三年の喪は天子より庶人に至るまで三代共にす」を引き、漢文帝以来の短喪の風を批判しつつ、太宗が過ちを悔い悲泣したことを孝と評し、後世の君主が古制に復すべきだと勧める。

貞観十八年:詰難の癖を悔いる

  • 太宗が「臣下は帝王に迎合しがちだ、朕の過ちを直言してほしい」と述べると、散騎常侍劉洎は「陛下は公卿の上書が意に沿わないと面前で詰難し慚愧させることがあり、直言を誘う道とは言えない」と答え、太宗は「朕もこの問難の癖を悔いている、すぐに改めよう」と応じた。