北史卷七十七 列傳第六十五 鮑宏

鮑宏

  • 鮑宏は字を潤身、東海郯の人。父の機は才学で知られ梁の書侍御史。宏は七歳で父を失い兄の泉に養われた。十二歳で文を作り湘東王繹の詩に和して繹に嘆賞され中記室に引かれ通直散騎侍郎に進んだ。江陵平定後は周に帰し明帝に麟趾殿学士として礼遇された。
  • 遂伯下大夫として杜子暉と陳に聘使し斉討伐を謀り、陳が出兵して斉を侵すよう仕向けた。斉討伐の策を問われた宏は「先皇は洛陽出兵で備えのある敵に阻まれ捷を得られなかった、汾・潞を進み晋陽を直撃するのが上策」と答え、周武帝はこれに従った。山東平定後、小禦正・平遙県伯・儀同を授けられた。
  • 隋文帝の丞相期、山南への使者として赴く途中、王謙の蜀での挙兵に伴い潼州で謙の将達奚惎に捕らえられ成都へ送られたが節を屈しなかった。謙敗死後、京師に馳せ戻り文帝に嘉され金帯を賜った。受禅後は開府・公爵に進み利・邛二州刺史を歴任し帰京した。尉義臣(父の崇が尉遅迥に従わず突厥戦で死んだ)に金氏を賜ろうとした文帝の下問に、宏は「項伯が項羽に与しなかったため漢高祖が劉氏を賜った例、秦真が父の難に殉じたため魏武が曹氏を賜った例に倣い、皇族の姓を賜るべき」と答え、文帝はこれに従い義臣に楊姓を賜った。均州刺史となったが目疾で免官し家で没した。
  • 周武帝の勅により『皇室譜』一部(『帝緒』『疏属』『賜姓』の三篇)を修めた。文集十巻が世に行われた。