北史卷七十 列傳第五十八 呂思禮

経歴

  • 東平寿張の人。性は温潤で交遊を選ばなかった。14歳,徐遵明に学び論難に長け諸生は「《書》を講じ《易》を論じて鋒を敵する者なし」と語った。19歳,秀才に挙げられ対策高第,相州功曹参軍を除せられる。葛栄が鄴を包囲した際,守禦の勲があり平陵県伯を賜り欒城令を除せられる。普泰中,僕射司馬子如が尚書二千石郎中に薦める。まもなく地位が低いとして退けられ国子博士を兼ねた。そこで関西大行台郎中を求め姚幼瑜・茹文就とともに関に入る。行台賀抜岳に重んじられ機密を専掌し時誉を得た。岳が侯莫陳悦に害されると,趙貴らは赫連達を遣わし周文帝を迎える議をし,思礼もその謀に参与した。周文が関西大都督となると思礼を府長史とし,まもなく行台右丞を除せられる。孝武帝を迎える功で汶陽県子に封じられ冠軍将軍を加える。黄門侍郎を拝す。魏文帝即位後,著作郎を領し安東将軍・都官尚書を除せられ七兵・殿中二曹事を兼ねる。竇泰捕虜の功で侯に進爵。大統四年,朝政を誹謗したとして賜死。
  • 思礼は学を好み才あり,軍国の事務を兼ねながらも手から書を離さなかった。昼は政事を治め夜は書を読み,蒼頭に灯を持たせ蝋燭は夜に数升燃え尽きた。沙苑の勝報を露布として起草するのに食事の間で書き上げ,周文はその工緻迅速さに感嘆した。碑誄表頌の類は皆世に伝わった。七年,車騎将軍・定州刺史を追贈。
  • 子亶が嗣ぐ。大象中,駕部下大夫に至る。
  • 当時,博陵の崔騰も早くから名誉あり清顕の職を歴任,丞相府長史であったが,同じく投書で謗議したとして賜死した。