北史卷七十 列傳第五十八 辛昂

経歴(附:仲景)

  • 字進君。数歳にして成人の志行あり。人相見に優れた者がその父仲略に「貴公の家は代々冠冕を継ぐが,名徳富貴のいずれもこの子に及ぶ者はない」と語り,仲略もその志気を重んじ深く然りとした。18歳,侯景に行台郎中として招かれる。景がのち帰順すると昂も入朝し丞相府行参軍を除せられる。のち帰朝の功を論じられ襄城県男に封。
  • 尉遅迥の蜀征伐に昂は招募に応じ従軍した。蜀平定後,迥は昂を龍州長史に表薦し龍安郡事を領させた。州は山谷を帯び旧俗は荒々しかったが,昂の威恵は著しく吏人は畏れつつ愛した。成都は一方の要衝で風俗が混雑しており,迥は昂の政治に長けたことをもって成都令を行わせた。昂は県に着任すると諸生とともに文翁学堂に参詣し宴を共にして「子は孝,臣は忠,師は厳,友は信,これが立身の要である。これに従わなければどうして名を成せようか,各々自ら励み令誉を成せ」と諸生に語った。昂の言葉は理に切実で諸生は皆深く感悟し,帰って父老に「辛君の教誡はこのようである,これに背いてはならない」と語った。これにより地域は粛然として皆その教化に従った。梓潼郡守に遷る。六官が建てられると司隷上士に入り繁昌県公を襲爵。
  • 保定二年,小吏部となる。時に益州は殷賑で軍国の資源であったが道は険しく劫盗に苦しんでいた。詔により昂は益・梁に使いし軍人の事務を悉く決した。昂は荒梗を撫導し安寧を得た。天和初,陸騰の信州蛮征討に際し昂に通・渠等の州で糧を運ばせた。時に臨・信・楚・合等の諸州の人々の多くが逆に従っていたが,昂は禍福を諭すと帰服する者は多く,老弱に糧を負わせ壮夫に戦を拒ませ怨む者はなかった。使命より戻ると巴州万栄郡人が反乱し郡城を包囲したため,昂は通・開二州で三千人を募り道を倍にして進み,不意を突いて衆に中国の歌を歌わせ賊塁に直行させた。大軍が救援に来たと見て賊は瓦解した。朝廷はその権略で事を成したことを嘉し,梁州総管・杞国公亮に軍中で昂に奴婢二十口・繒彩四百匹を賞させた。また昂の威信が宕梁に布かれていることから渠州刺史に表薦,通州に転ずる。誠を推し信を布き夷獠の心を大いに得た。任期満了で京師に還ると首領たちは皆昂に随行し朝覲した。昂の化が夷落に及んだことにより驃騎大将軍・開府儀同三司に進位。時に晋公護が執政であり昂はしだいに護に親待されたが,武帝はこれを深く憎んだ。護誅殺後,鞭打たれこれにより卒した。
  • 昂の族人仲景,学を好み雅量あり。その高祖欽は後趙吏部尚書・雍州刺史で子孫はこれにより家を構えた。父歓,魏隴州刺史・朱陽公。仲景18歳,文学に挙げられ対策高第。司空府主簿を拝す。建徳中,内史下大夫・開府儀同三司。家で卒。子衡。