北史卷六十八 列傳第五十六 豆盧寧

出自と経歴

  • 昌黎徒何の人。本姓は慕容氏で,燕の北地王慕容精の後裔。高祖勝が燕より魏に降り豆盧氏の姓を賜った(北人が帰義を「豆盧」と呼んだためとも,避難のため改姓したためともいい,いずれが正しいか未詳)。父萇は魏の柔玄鎮将で威重があった。武成年間,寧の勲功により柱国大将軍・少保・涪陵郡公を追贈された。
  • 寧は身長八尺,善く騎射をこなした。魏永安中,別将として爾朱天光に従い関中に入り,万俟醜奴を破る功で霊寿県男を賜る。かつて梁□□定と平涼川で会し弓術を競い七発五中,□□定は厚く贈遺した。天光敗れると侯莫陳悦に従ったが,周文が悦を討つと李弼とともに帰順した。
  • 孝武帝西遷に際し奉迎の功で河陽県伯に封,のち公に進爵。竇泰捕虜・弘農回復・沙苑破りに従い,衛大将軍・兼大都督を除せられた。大統七年,於謹に従い稽胡帥劉平伏を上郡で破る。梁□□定反乱の際は軍司として隴右諸軍事を監督,平定後は侍中・使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司に進んだ。九年,周文に従い高仲密を迎え東魏と芒山で戦い,左衛将軍・范陽郡公に進む。十六年,大将軍。羌帥傍乞鉄勿・鄭五醜らの反乱を討平。恭帝二年,武陽郡公に改封,尚書右僕射に遷る。周孝閔帝践祚後,柱国大将軍。武成初,同州刺史。大司寇に遷り楚国公(食邑万戸,別に塩亭県千戸の租賦)に進封。保定四年,岐州刺史。東討に病を押して従軍し,同州で薨去。太保・十州諸軍事・同州刺史を追贈,諡は昭。
  • 寧は当初子がなく弟永恩の子勣を養っていたが,のち実子贊が生まれると親族は皆贊を嗣子にと請うた。寧は「兄弟の子も我が子と同じ,選ぶ理由がない」として勣を嗣子とし,時人はこれを称えた。寧の薨後,勣が爵位を襲う。