北史卷五十五 列傳第四十三 張亮

張亮

  • 字は伯德。西河隰城の人。爾朱兆に仕え、兆が秀容へ逃れた際、周囲は皆密かに他へ内通したが張亮だけは通じなかった。兆の敗北後、窮山に隠れた兆は張亮と従僕陳山提に自らの首を斬って降るよう命じたがどちらも忍びず、兆は自ら木に縊れた。張亮はその屍に伏して哭泣し、高歡に感嘆されて丞相府参軍を授けられ、記書の任を委ねられた。天平中、文襄行台郎中として七兵事を典り、常に高歡の側近くにあり右丞に遷った。
  • 高仲密の叛乱の際、大司馬斛律金と共に河陽を守った。宇文泰が上流から火船を放って河橋を焼こうとした際、張亮は釘を仕込んだ鎖付きの小艇百余を用意し、火船を鎖で引き寄せて岸へ逃がし橋を守った。のち太中大夫から幽州刺史に拝された。薛琡が張亮の夢(山上に糸を掛ける)を「幽の字なり、幽州刺史になるのでは」と占い、数ヵ月後に的中した。尚書右僕射・西南道行台に累進した。
  • 質実で勤勉、高歡・文襄の信頼厚かったが風格に乏しく財利を好み、清廉ではなかった。歴任した数州で貪欲との評判を得た。天保初年、安定縣男に別封され中領軍に至り、没後司空を追贈された。

趙起・徐遠(霸府の付随人物)

趙起

  • 廣平の人、沈着謹厳な性格。高歡に相府騎兵二局として重用され十余年兵馬を典った。文宣即位後、大鴻臚卿に累進、九卿・侍中を歴任しつつ常に本官で兵馬を監し、二張(張亮・張徽纂)に次ぐ腹心の地位を保った。武平中、軍中で没し都督・滄州刺史を追贈された。

徐遠

  • 廣寧の人、丞相騎兵参軍事として高歡に見出された。東楚州刺史として恩恵ある政を行い、郭邑の大火の際は自ら消火に赴き民を救った。衛尉卿で没した。趙起・徐遠は既に別に伝があり異なる事績もないため、ここに付記するのみである。