北史卷五十五 列傳第四十三 張曜

張曜

  • 字は靈光。上谷昌平の人。若くして貞謹、韓軌の御史弾劾で州府僚佐や軌の側近百余人が贓罪で処罰される中、張曜だけは清白で免れた。天保初年、都郷男に叙せられ尚書右丞に累進した。
  • 文宣が夜間に外出先から急遽帰城した際、張曜は夜間の顔確認を理由に容易に開門せず、自ら出向いて確認したうえで開門した。文宣は「郅君章(後漢の故事の人物)に倣うつもりか」と笑い、称賛して錦采を賜った。大寧初年、秘書監に遷った。
  • 数代に仕えて職務に励み過失がなく、俸禄は宗族に分け与える質素な生活を続けた。《春秋》を毎月一度読み賈梁道(賈逵)に比された。趙彥深に「杜預・服虔の注釈を求めているのか」と問われると、「善悪の戒めのために温習するのみで、古人を批判する意図はない」と答えた。
  • 天統元年、奏事の場で急病に倒れ、武成帝は座を降りて見舞ったが呼びかけに応じず、帝は「良臣を失った」と泣いた。十日後に没し、尚書右僕射・諡貞簡を追贈された。