北史卷四十六 列傳第三十四 孫紹

孫紹

  • 字世慶、昌黎の人。若くして学を好み経史に通じた。校書郎から給事中、門下録事を経て、常景と共に律令を修めた。延昌年間(512〜515年)に上表し、国境防備の弛緩(二虢・南北二中の防備欠如、長安・鄴城・穣城・上党など要地の軍備不備)、清濁不分の中正選挙の腐敗、士庶の負担格差による民の逃亡・偽装・山林潜伏などの弊害、辺境鎮戍の危機、そして律のみ施行され令が久しく施行されていない不整合を指摘し、令の速やかな頒布を求めた。
  • 正光初(520年)中書侍郎を兼ね、直言を憚らぬ性格から軽んじられ意見が採用されないこともあった。彈箏の名手だった兄世元の早世を悼み箏の音に涙する逸話。太府少卿として霊太后の「卿は年老いた」との言葉に「臣は年老いても臣の卿はまだ若い」と応じ笑われた逸話。右将軍・太中大夫。
  • 朝見に赴く際、辛雄に「ここにいる者はやがて皆死ぬが、私と君だけは富貴を保つ」と語り、まもなく河陰の変が起こった。祿命の推算に長け、多くの予言が的中したという。永安中(528〜530年)太府卿、《正光壬子暦》編纂への参議の功で新昌子。没後右光禄大夫・尚書左僕射・諡宣を追贈。子の伯元が爵を継いだ。