北史卷四十五 列傳第三十三 傅豎眼

祖父・父の代

  • 本は清河の人。祖父融は磐陽に移り豪侠で知られ、三子霊慶・霊根・霊越に才力があった。融の予言的逸話(三子の才を「三霊」と称した図讖)が伝わる。宋将蕭斌・王玄謨の磝碻侵攻で霊慶は軍主として従うが攻城失敗を恐れ偽って重傷を装い逃亡、追撃されるも壮士の護衛で免れた。従叔乾愛の誘き寄せにより斌の刺客に殺害され、母崔氏に「法曹(乾愛)が殺した、忘れるな」と遺言した。
  • 弟の霊根・霊越は河北へ逃れ、霊越は北魏に降り青州平定を献策、文成帝に嘉納され青州刺史・貝丘子に封ぜられ羊蘭城を鎮守、霊根は臨斉副将。宋は乾愛を樂陵太守とし対岸から霊越を招くが逃亡を図り、霊根は捕縛され斬られ、霊越は乾愛の助けで脱出。乾愛の下で垣護之の南方国主呼びかけを拒む骨のある逸話も伝わる。のち霊越は毒殺により兄の仇を討ち、太原太守として孝武帝の子勲擁立に加わるも敗れ、宋明帝の将王広之に捕らえられ「傅霊越なるぞ、賊を得て何故すぐ殺さぬ」と言い放ち、劉勔の勧降にも屈せず処刑された。

蜀の名刺史

  • 豎眼は霊越の子。沈毅な壮士で父の風があった。王肅に見出され参軍、軍功で益州刺史。高肇の蜀征討では巴北を先鋒として攻略。清廉で私財を蓄えず俸禄を夷首・士卒に施し、蜀人に恩信で保境安民の治を行い、掠奪された蜀人を本地へ送還する等の政策で夷夏に慕われた。
  • 明帝初、州の請願で解任され元法僧に交代、益州人が数百里を涙で見送った逸話。趙祖悦の壽春侵攻に対し崔亮の下で鎮南軍司。元法僧の失政で梁将張斉が益州を侵すと再び益州刺史として召還され、三日間で二百余里を転戦、蜀人が数百人単位で歓迎した。張斉を白水以東で撃破、蜀を平定し霊太后から璽書と駿馬・宝剣を賜った。
  • のち岐州・梁州刺史。病のため統治が滞り、子の敬紹(嶮暴で財色を貪り人望を失う)が総督を任され梁の錫休儒の侵攻を撃退したが、逆に南鄭を私有化しようと画策、内応の陰謀が露見して城兵に処刑された。豎眼は憤死し、永安中(528〜530年)吏部尚書・斉州刺史、孝武帝初に司空公・相州刺史を追贈された。
  • 長子敬和・次子敬仲は共に酒色に耽り権門にへつらった。敬和は孝荘帝時に益州刺史となったが苛斂誅求で人望を失い、梁将樊文熾に攻められ降伏し江南へ送られた。斉神武の威徳を頼み北帰を許され北徐州刺史となるが再び酒に溺れ土賊に城を奪われ、廃されて没した。