帰順まで
- 譙国の人。17歳で親の決めた韋氏との縁組を拒み出奔、益州に逃れたと伝わる。のち裴叔業に従い寿春で南譙太守となったが、両家は姻戚ながら不和で、単騎で北魏に帰順し驍騎将軍、王肅の壽春鎮に従った。王肅没後、南へ逃れる。
- 梁の荘丘黒(征虜将軍・梁秦二州刺史、南鄭鎮)に長史として仕え漢中郡を帯びたが、黒の死後、密かに帰順を図る。仇池鎮将楊霊珍の南奔・梁の武都王仮授を機に霊珍を撃ち父子を斬首、江悦之らと共に道遷を梁・秦二州刺史に推した。北魏に帰順を上表、璽書で慰撫され持節・散騎常侍・平南将軍・豫州刺史・豊県侯に封ぜられたが、豫州刺史・豊県侯は辞退し裴叔業の例に倣った(許されず)。
- 京師で謝罪の意を表した際、宣武帝は「一簣の玷りをどうして謝る必要があろうか」と応じた。のち濮陽県侯に改封、州の辞任を繰り返し許された。学問は深くないが書史に通じ、園池を営み妓妾を蓄え「座上客恆に満ち樽中酒空しからず」という孔融の言を好んだ人物。華・瀛二州刺史として清厳な統治。没後雍州刺史・諡明侯。漢中攻略の功を王頴興の献策によるとして分封を求めたが認められず、霊太后臨朝後に再度求めて許されかけたが没して沙汰止み。正室を娶らず庶子数人のみ。
夏侯道遷の子夬とその怪異譚
- 長子夬(字元廷)は鎮遠将軍・南袞州大中正。酒を好み父の田園を売り尽くすほど浪費し、弟妹を飢寒に晒した。臨終前、征虜将軍房世宝の霊夢に脅かされ杖打たれる夢を見て病臥、二日間失語ののち急死。遺体には夢の通り杖打ちの痕があったという。
- 死後、友人辛諶・庾遵・江文遥らが命日の上巳に霊前で酒宴を開くと夬の姿が見え、家客雍僧明が驚愕し倒れる怪異が起きた逸話が伝わる。
- 夬の妻は裴植の娘で道遷の妾たちと不和、訴訟に及んだ。子の籍(幼くして祖父の爵を継ぐ)は眇目の疾ありとして夬の弟らに継承の適格を争われたが、尚書の裁定で籍の承継が認められた。
- 道遷の兄の子ISは咸陽太守。
夏侯道遷の帰順に功のあった人々
- 羅道珍(襄陽):斉州東平原相。
- 王安世(北海、苻堅丞相王猛の玄孫):北華州刺史。
- 辛諶(潁川、魏の辛毗の後裔):文学に優れ濮陽・上党二郡太守。
- 姜永(漢中):琴と文学に優れ漢中太守。弟の漾も孝行の士。
- 庾道者(潁川):勲謀には関与しなかったが草隷書に長じ財を軽んじる奇士、饒安県令で没。