北史卷四十五 列傳第三十三 李元護

李元護

  • 遼東襄平の人、晋の司徒李胤の八世孫。魏平斉後、父懐慶に従い南奔。身長八尺、美須髯、武力に優れつつ文史も読んだ。斉で馬頭太守、のち裴叔業の司馬・汝陰太守として帰順計画に賛同、叔業の病中に軍を統率し寿春平定に貢献。景明初、斉州刺史・広饒県伯。州人柳世明の謀反を過酷に鎮圧した点や、部曲による侵擾で「良刺史」と評されなかった点も記される。景明三年(502年)没する前に凶事の予兆(京師での噂、送客亭の落書き)があったという逸話、多くの妓妾を蓄え精気を消耗し須髯が抜け落ちたという逸話も伝わる。青州刺史を追贈。
  • 子の会は正始年間(504〜508年)に子に降格、妻(房伯玉の娘)に応じず、妻が弟の機と通じ会を酔わせて殺害。子の景宣が爵を継ぐ。機と房氏はその後十余年夫婦同然に過ごし、房氏の衰えとともに機は別に婚姻した。
  • 元護の弟静は貪婪で、兄の喪中に妓の衣服・財物を奪った。斉郡内史。