北史卷四十 列傳第二十八 高道悅

剛直の諫議

  • 字文欣、遼東新昌の人。曾祖策は馮跋の散騎常侍・新昌侯。祖育は馮弘の建徳令。太武帝東征の際に部を率いて帰順し、建忠将軍・斉郡建徳二郡太守、肥如子を賜った。父玄起は武邑太守、勃海蓧県に居した。
  • 道悦は中書学生・侍御主文中散から諫議大夫となり正色で強禦を憚らなかった。南征の徴兵で期会に遅れた薛聡・元志らを弾劾、さらに左僕射・吏部尚書任城王澄と尚書左丞公孫良の失職を上奏し免官を求めた。兄観が外兵郎中であったため澄に「兄を庇う」と非難されるが孝文帝の詔で不問となった。詔で「道悦は忠篤謇諤、汲黯・鮑宣にも劣らぬ」と称え、主爵下大夫を兼ね諫議大夫は元のままとされた。
  • 鄴への行幸に際し御史中尉を兼ね洛京留守。水路での行幸準備(舟楫造営)が国費を損なうと諫め陸路に変更させた。太子中庶子に転じ、宮官上下に畏憚された。
  • 太和20年秋、車駕が中嶽に幸した際、太子恂は金墉に留められたが密かに代(平城)へ帰ろうと謀り、道悦の再三の諫めを恨んで禁中で殺害した。孝文帝は深く悲しみ散騎常侍・営州刺史を追贈、妻子を慰問させ喪事を監護させた。旧塋に葬り諡は貞侯。宣武帝も忠概を追録し長子顕族を給事中とした。顕族も忠厚で称され右軍将軍で卒した。

高道悅の一族

  • 顕族の弟敬猷は風度があり、蕭宝寅の西征に驃騎司馬として従うが、宝寅謀反の際に封偉伯らと義挙を図り露見して殺された。滄州刺史を贈られる。道悦の長兄嵩(字昆侖)は魏郡太守。
  • 嵩の弟雙は清河太守で不正蓄財の罪に問われ処刑寸前で赦免、北海王詳の下で金宝を納め司空長史となり、涼州刺史では貪暴を極め免官、後に高肇に賄賂して幽州刺史に復帰するが再び弾劾され間もなく死した。雙の弟観は南征で先駆けとして戦死し、諡は閔。