北史卷三十八 列傳第二十六 裴文舉
清廉の絳州刺史
- 字は道裕、河東聞喜の人。祖の秀業は魏の天水郡守、父の邃は方厳な人柄で、大統三年の東魏侵攻に際し郷人を糾合して険要を固め、李弼の東境攻略に道案内を務め周文帝に賞された澄城県子。正平郡守で卒し儀同三司・定州刺史を贈られた。
- 文舉は少くして忠謹で経史を学び、周文帝の諸子と交わっても未だ戯狎せず敬われた。著作郎・中外府参軍を経て賀蘭氏を賜姓され澄城県子を襲爵。齊公憲の幕府では司録として蜀の富に誘われても「利より安身が貴い」と辞し、憲の資給にも謙遜して受け取りを控えた。
- 保定三年、絳州刺史として父邃の廉約な政を継ぎ百姓に慕われ、総管韋孝寛に厚く敬重された。天和初め驃騎大将軍・開府儀同三司を経て孝寛の柱国府司馬、司憲中大夫・軍司馬。弟の璣を養育し、叔父季和・叔母韋氏の墓が東西分断で齊境に残っていたのを、清河太守時代に懸賞して合葬を実現させた。南青州刺史を経て宣政元年に卒した。子の胄は大都督、孫の神は安邑通守、その子に知禮がいる。