北史卷三十七 列傳第二十五 崔延伯

淮橋の功を立てた征西の将

  • 博陵の人。斉に仕え太和中に魏に入り、荊州刺史として蛮左の寇を討ち穣土を鎮めた。梁将趙祖悦の硤石占拠を都督崔亮とともに討ち、下蔡を守り車輪を用いた浮橋で祖悦の退路を断って全軍を捕虜とし、征南将軍・光禄大夫を拝した。
  • 霊太后に硤石平定を賞され、大眼とともに淮堰再攻の策を問われた際、大眼が水陸並進を説いたのに対し延伯は水兵訓練の必要を説き、太后に是とされた。并州刺史時代は貪汚が知られたが、金紫光禄大夫・鎮南将軍を経て正光五年、当利県男(のち新豊子に改封)。莫折念生の兄天生の隴東侵攻に際し使持節・征西将軍・西道都督として蕭宝夤と結壘し、精兵数千で賊営を挑発しては退く戦法で敵を疲弊させ、俘斬十余万・追撃を小隴に及ぼす大勝を収め、左衛将軍を授けられた。
  • 万俟醜奴・宿勤明達討伐では甲卒十二万・鉄馬八千で臨んだが、偽りの降簿に欺かれて挟撃を受け、「排城」戦法も破られて二万の死傷を出す大敗を喫した。恥辱を雪ごうと単独で夜襲を敢行し数柵を破ったが、掠奪に走った兵が乱れて大敗、延伯自身も流矢に当たり戦死し、士卒一万余人が死んだ。
  • 撫御に優れ康生・大眼と並ぶ諸将の冠と称され、死に際して朝野は嘆惜した。使持節・車騎大将軍・儀同三司・定州刺史を贈られ諡は武烈。