経歴
- 薛寘、河東汾陰の人。祖父の遵顔は魏の河東郡守・安邑侯。父の乂は清河・広平二郡守。寘は幼くして書を博覧し文を好み、奉朝請として初めて仕官した。魏の孝武帝の西遷に従い郃陽県子に封じられた。廃帝元年、著作佐郎を領し国史を修めた。まもなく中書侍郎を拝し起居注を修め、中書令に遷った。燕公于謹が江陵を征討した際、寘は司録として軍中の謀略に参与した。江陵平定後、伯爵に進んだ。朝廷が制度を改め『周礼』を施行しようとした際、寘に小宗伯盧辯とともに古今を斟酌し詳定させた。六官の制定後、内史下大夫を授かった。
「盧・薛」の名声と著作
- 周の孝閔帝の即位後、侯爵に進み禦正中大夫に転じた。当時、前中書監の盧柔は学業に優れ文藻も豊かで、寘と並び称され世に「盧・薛」と呼ばれた。のち驃騎大将軍・開府儀同三司に進み淅州刺史に出た。任地で没し、吏人はこれを哀惜した。虞州刺史を贈られ諡は理。所著の文筆二十余巻が世に行われた。また『西京記』三巻を撰し、その典拠は該博で世にその博聞を称された。寘は至孝な性格で、年老いて職務が多忙でも親への朝夕の礼を欠かさなかった。当時これを称賛された。子の明が跡を継いだ。大象末年、儀同大将軍・清水郡守。