北史卷三十六 列傳第二十四 薛憕

字景猷、河東汾陰の人。若くして家柄に恵まれず不遇であったが、高歓の挙兵を機に関中の要害たることを説き、薛孝通と共に長安の周文帝(宇文泰)のもとへ赴いた学者官僚。文才に優れ、宮殿完成の頌や欹器の頌を作るなど西魏の儀制整備に参与したが、のち事件に連座して死んだ。

年表(6件)

出自と青年期の不遇

  • 薛憕、字は景猷。河東汾陰の人。曾祖の弘敞は赫連氏の乱を逃れ一族を率い襄陽に避難した。憕は早くに父を失い家は貧しかったが、自ら耕して祖母を養い、暇には書物を読んだ。粗放で拘らない性格で、当時は人にその才を認められなかった。江表(江南)で人材を取る際は多く世族を重んじたが、憕の家には貴顕な地位の者がなく、初任も侍郎止まりであった。異郷の身であり抜擢されず、常に「五十年幘(頭巾)を被り続けて一校尉のまま死ぬのか、頭を垂れ人に従うだけなのか」と嘆いた。鬱々として志を得ず、常に人の間にあっても身分の高い者を凌ぎ、才気を頼んで世禄の門に趨ることはなかった。左中郎将京兆の韋潜度が「君の家柄は低くなく才も劣らないのに、なぜ吏部にしばしば参らないのか」と問うと、憕は「『世胄は高位を踏み、英俊は下寮に沈む』とは古人の嘆きだが、私はまだそれを免れられずにいる」と答えた。韋潜度は人に「この若者はまことに慷慨の士だが時に遭わないだけだ」と語った。

河東での隠遁と長安への移住

  • 孝昌年間、杖策して洛陽に戻った。以前、憕の従祖の真度は族祖の安都と共に徐・兗を挙げて魏に帰順しており、その子懐俊は憕と非常に親しかった。爾朱栄の廃立の際、憕は河東に戻り懐俊の家に身を寄せた。人と交わらず終日読書し、自ら抄写した書はおよそ二百巻に及んだ。郡守の元襲だけが時に招いて対等の礼で遇した。懐俊は常に「お前は郷里に戻っても産業を営まず妻も娶らない、また南へ行くつもりか」と問うたが、憕は気にかけなかった。普泰年間、給事中を拝し伏波将軍を加えられた。
  • 斉の神武帝が挙兵すると、憕は陳・梁の間を東に遊歴し、一族の孝通に「高歓は兵を恃んで君に逆らい、喪乱がまさに始まる。関中は形勝の地、必ず覇王たる者がこれを拠る」と語り、孝通とともに長安に赴いた。侯莫陳悦はこれを聞き行台郎に召し、鎮遠将軍・歩兵校尉を除した。侯莫陳悦が賀抜岳を害した際、軍人は皆これを喜んだが、憕は独り親しい者に「悦の才略はもとより乏しく、良将を害したのは滅亡の始まりに過ぎない。我らも今にも人に虜われるだろう、何を喜ぶことがあろうか」と語った。長孫(原文のまま)はこの言を是とし憂色を示した。まもなく周文帝が悦を平定し、憕を記室参軍に引いた。孝武帝の西遷後、征虜将軍・中散大夫を授かり夏陽県男に封じられた。文帝(西魏文帝)の即位後、中書侍郎を拝し安東将軍を加えられ伯爵に進んだ。

文才と欹器の頌

  • 大統四年、宣光・清徽殿が完成すると憕はこれを頌した。文帝はまた二つの欹器(水位で傾く器)を作らせた。一つは二人の仙人が同じ盆に一つの鉢を持ち、鉢の蓋には山があり山から香気が立ち、一人の仙人が金瓶で山に水を注ぐと瓶から出た水が器に注がれ煙気が山中に立ちのぼる仕組みで「仙人欹器」と呼ばれた。もう一つは二つの蓮が同じ盆にあり、間に蓮があって器の上に垂れ、水を蓮に注ぐと蓮から出た水が器に満ちる仕組みで、鳧雁や蟾(蛙)の飾りが施され「水芝欹器」と呼ばれた。それぞれ別々の台に置かれ、鉢は円く台は方形で、中に人の像があり天地人の三才を象っていた。いずれも清徽殿の前に置かれた。形は觥(酒器)に似て方形で、満ちれば平らに、それ以上注げば傾いて溢れる仕組みであった。憕はそれぞれに頌を作った。
  • 大統の初め、儀制の多くが整っていなかった。周文帝は憕に盧辯・檀翥らとともにこれを参定させた。流離の身の上から音楽を聴かず、幽室に独り居る時も常に憂いの色があった。のち事件に連座して死んだ。子の舒が跡を継ぎ、礼部下大夫・儀同大将軍・聘陳使副に至った。

史論

  • 薛辯は魏の初め、早くから功業を樹て、一門は爵位を享け栄名は絶えることがなかった。端は謙虚と剛直をもって知られ、胄は公平を自任した。浚の孝悌は素緒(家の伝統)が育んだものである。道衡は代々文の道を継ぎ世に文宗と仰がれ、令名を得たのも当然のことであった。しかし時が乱世に及び、ついに誅戮を被ったのは痛ましいことである。
  • 仲良(善)は繁劇な任にあって功績を広く伝えたが、宇文護に阿諛し権寵を求めたことで、諡を「繆」と改められたのはまさに虚しいことではないか。
  • 寘・憕はともに学識該博と称され、文才も優れ、あるいは筆を鳳池(中書省)に揮い、あるいは書を麟閣(秘書省)に著し、いずれも禄位を得てその才を発揮した。徐陵・陳琳に比べれば後生の恐るべきことを恥じるほどであり、その任遇の点では、まさに当代における良き人選であったと言える。