北史卷二十 列傳第八 賀狄幹
賀狄幹
- 代の人。家柄は小族ながら代々忠厚で、将として公平な評判を得ていた。北部大人に累進した。登国初年、長孫嵩と対をなす地位にあり、聴察に明るく人に慕われた。道武帝は狄幹に馬千匹を持たせ姚萇との婚姻を結ばせようとしたが、萇が死に姚興が立つとこれを機に幹を留め婚姻を絶った。興の弟の平が平陽を寇した際、道武帝が討平し将の狄伯支・唐小方ら四十余人を捕らえた。のち興が駿馬千匹で伯支を贖おうとし、代わりに狄幹を還すことを願い出、帝はこれを許した。幹は長安にいる間に書史を学び『論語』『尚書』等の経書に通じ、その挙止は儒者のようであったという。はじめ帝が普く功臣を封じた際、狄幹は姚興に留められていたにもかかわらず遠く襄武侯・秦兵将軍の爵位を賜った。しかし幹が帰還すると、帝はその言語や衣服が中国風であるのを見て中華文化に憧れ倣ったものと考え、これを不快に思い殺害した。