北史卷二十 列傳第八 婁伏連

婁伏連

  • 代の人。代々酋帥であった。伏連は忠厚で器量があり、十三歳で父の位を襲い部落を領した。道武帝初年、賀蘭部の破却と中山平定に従った。姚平討伐の柴壁の役では功により安邑侯を賜った。明元帝の時、晋兵将軍・并州刺史となった。太武帝即位後、広陵公に封ぜられ光禄勲に再遷し爵を王に進めた。のち統万に鎮した。薨じ諡は恭王。子の真が爵を襲ぎ公に降された。真の弟の大拔は钜鹿子に封ぜられた。

寶(大拔の孫)

  • 字は道成。性は淳朴で読書を好んだ。明帝の時、朔州刺史に至り、辺境の事変が頻発し人民が流散する中、寶が着任すると次第に安集させた。荒廃した旧宅の修築を命じ、帰る者が路を成すほどとなり、政績は毎年天下随一と評された。
  • のち大都督源子邕に従い葛榮討伐に赴いたが官軍は敗れ、寶は榮の軍に囚われながら姓名を変え兵卒に紛れて害を免れた。しばらくして朔州出身の賊が寶を見破り榮に引き合わせたが、榮は「婁公、私が事を図る中でお会いできて嬉しい」と笑い、周囲に「この方の善行に天道が報いた、乱兵の中で無事だったのがその証」と語ったという。寶は逃亡者に事情を密告し賊の情勢を朝廷に伝え内応を図った。天子はその壮志に感じて寶の次子景賢に員外散騎常侍を授けた。葛榮が滅んで寶はようやく帰還を果たした。
  • 永安中、仮員外散騎常侍として蠕蠕へ使者に立った。かつて蠕蠕は藩と称し上表していたが、中州の情勢が振るわなくなると書式を敵国の礼に改めていたため、寶はこれを責め、蠕蠕主は大いに驚き「これは書記の誤り」と謝し再び藩と称した。
  • 孝武帝の即位に際し行台長孫子彦と共に恒農を鎮するよう命じられた。のち関に入る帝に従い広甯県伯に封ぜられた。大統元年、著作郎を領して国史の監修に当たり平城県子に別封された。国子祭酒・侍中・儀同三司を加え太子太傅を兼ね東宮詹事を摂した。寶は清簡寡言で旧事に精通し、師傅の位にありながら謙虚で慎み深く人に敬われた。のち涇州の事を行い州で卒した。