北齊書卷二十二 列傳第十四 李元忠
李元忠、趙郡柏人の人。史書・陰陽数術に通じ医薬にも通じた博識の人物で、髙歓(神武)に義挙を促した功臣。財を軽んじ義を重んじる清廉な人柄で知られ、光州刺史として独断で大量の穀物を放出し飢饉を救うなど民政にも功があった。武定三年、60歳で没した。
出自と生い立ち
- 李元忠、趙郡柏人の人。曾祖の靈は魏の定州刺史・鉅鹿公、祖の恢は鎮西将軍、父の顯甫は安州刺史。元忠は少くして志操を励まし、喪に孝を尽くした。平棘子の爵を襲い、清河王元懌の下で士曹参軍、太尉府長流参軍、明堂造営の大都督主簿などを歴任。史書・陰陽数術に通じ、鼓筝を解し弾を好んだ。母の看病のため医薬を専心して学び、貴賤を問わず病者を救療し、鄉里の借財の契約を焼いて免責するなど仁恕の人柄で知られた。
- 孝明帝の頃、清河の避難民五百人を助け、羊を殺してもてなし奴を道案内に付けた逸話が伝わる。永安初め南趙郡太守。荘帝が幽崩すると官を棄てて帰郷し、密かに義挙を図った。髙祖が山東に出ると自ら奉迎し、露車に素筝と濁酒を載せて謁見し、髙祖に縦横の策を進言して深く信任された。刺史尒朱羽生が兵を拠って州を守っていたのを、元忠は西方で兵を集め大軍と合流して羽生を捕らえ斬った。
髙祖との交誼
- 中興初め中軍将軍・衛尉卿、太常卿・殷州大中正。武帝が髙祖の長女を后に迎える際、元忠は元羅と共に迎娶の使者となった。髙祖は宴席で旧事を語るたび「この人が私に挙兵を促した」と手を打って笑い、白馬を賜った。元忠が戯れに「侍中を私にくれないなら、別の挙兵の場を探すぞ」と言うと、髙祖は「挙兵の場に不足はないが、こんな老翁にはもう会えまい」と答え、元忠は髙祖の鬚を捋って大笑した。
- 髙祖が皇后を送った後、晋沢で狩りをした際に元忠は落馬して一時気絶したが、髙祖自ら見舞い晋陽県伯に封じた。天平年間、光州刺史として飢饉に際し朝廷の許可額(万石)では不十分と判断し、独断で十五万石を放出して救済し、事後に報告したが、髙祖はこれを咎めず称えた。
- 侍中の任にあっても酒色を楽しみ家事を顧みず、庭に果樹薬草を植え、彈を持ち壺を提げて里を遊歴した。「年老いて力衰えた、閑職で余生を養いたい」と願い出たが、武定元年、驃騎大将軍・儀同三司。世宗(高澄)に葡萄酒を贈った際、世宗は絹百匹を返礼し「儀同(元忠)の家は台鉉に亜ぐ地位にありながら、家に一石の蓄えもなく室は磬を懸けたように空しい、財を軽んじ義を重んじる姿を長く称賛してきた」との書を添えた。
- 孫騰・司馬子如が元忠を訪ねると、樹下で被を被り壺に向かう姿で「今日は思わぬ質素な暮らしを見た」と嘆じ、妻の衣が地を曳かぬほど質素であった逸話が伝わる。二人が贈った米絹衣服も元忠はすべて人に分け与えた。武定三年、衛尉卿在任のまま六十歳で没し、縑布五百匹、使持節・督定冀殷幽四州諸軍事・大将軍・司徒・定州刺史を追贈され、諡は敬惠。子の搔が嗣ぎ、音律・博奕に通じ「八絃」という楽器を考案するなど才智で知られた。
李密(元忠の族弟)
- 李密、字は希邕。平棘の人。祖の伯膺は魏の東郡太守、父の渙は治書侍御史・河内太守。節操があり、渤海の髙昂と結んで爾朱兆への報復を図った。髙祖の挙兵に従い幷州刺史・容城県侯、殷定二州の募兵五千を率い黄沙・井陘の二道を鎮めた。韓陵の戦い後、幷州事を代行した薛循義に代わり建州刺史、のち襄州刺史として十余年、安辺の術を得て威信が国境を越えて知られた。侯景の叛乱時に捕らえられ官爵を授けられたが、侯景敗走後に帰朝し不問とされた。天保初め散騎常侍・県侯を復した。
- 母の病のため医方・鍼灸を極めて治療し、以後医術で知られた。護軍司馬、武邑太守、司空長史、清河・広平二郡守などを歴任し、斉滅亡後に没した。子の道謙は侍御史、道貞は南青州司馬として賊邢杲に殺され北徐州刺史を追贈された。
李愍(元忠の宗人)
- 李愍、字は魔憐。魁偉な容姿で大志を抱きながら仕官せず、姦俠を集めて徒党を組んだ。長孫稚の討伐軍に加わったが敗れて帰郷。安楽王元鑒の招きで武騎常侍として鄴城を守り葛栄の残党を討ったが、元鑒の謀反を察して仮病で難を逃れた。源子邕・裴衍の討伐に応じて元鑒討伐に加わり、汴河を守った。葛栄の弟樂陵王葛萇の攻撃を険を拠って防ぎ、尒朱栄に葛榮を捕らえるため襄国方面を任され、広州刺史田怙の軍を平定した。建忠将軍・易陽郡太守、襄国侯。
- 永安末、洛陽陥落後は石門山に拠り、幽州刺史劉霊助・髙昻兄弟・安州刺史盧曹らと呼応した。霊助敗死後は石門に戻り、髙祖の招きに応じ数千の衆を率いて帰属し、征南将軍・相州刺史・尚書西南道行台などを歴任。爾朱兆討伐、鄴城守備に功があり、太府卿、南荊州刺史。孝昌以来断絶していた旧道を勒兵三百里余り開通させて郵亭を立て、蛮族を服させた。梁の任思祖・桓和らの下溠戍包囲を撃破し、州内に陂渠を開いて千余頃を灌漑した。東荊州刺史、天平二年没、使持節・定殷二州軍事・儀同・定州刺史を追贈された。
李景遺(元忠の族叔)
- 李景遺、雄武で膽力があり、亡命者を集めて劫盗を働き郷里の患いとなった。兄の南鉅鹿太守無為が贓罪で獄に繋がれると、臺使を詐称して救出し、以後俠名を得た。髙祖の挙兵に参じ、元忠と共に西山で挙兵し尒朱羽生を捕らえた功で龍驤将軍・昌平県公・食邑八百戸。爾朱兆討伐でも功を挙げ左将軍、太昌初め昌平郡公に進封、車騎将軍。天平初め潁州刺史として前潁川太守元洪威に襲殺され、侍中・殷滄二州軍事・大将軍・殷州刺史を追贈された。子の伽林が嗣いだ。