北齊書卷二十 列傳第十二 斛律羌舉

斛律羌舉

  • 斛律羌挙、太安の人。世々部落酋長、父謹は魏龍驤将軍・武川鎮将。若く驍果で胆力あり、永安中爾朱兆に従い入洛、戦功により兆に寵愛されたが、高祖が兆を破ると帰誠し高祖もその忠を評価。天平中大都督、歩騎三千で夏州襲取に先導。高祖の西討で渭曲の戦い前、羌挙は「黒獺(宇文泰)は困窮しており、咸陽を直撃すべき」と献策したが議論分かれ渭曲で戦い大敗した。
  • 潁川人張儉の反乱を都督侯景・高昂らと討平。元象中清州刺史・密県侯、興和初め中軍大都督、東夏州刺史。高祖の阿至羅への使者として威徳を宣揚し評価された。州で36歳で卒し并恒二州軍事・恒州刺史を追贈。子孝卿は機悟に富み武平末侍中・開府儀同三司・義寧王、内省・外兵・騎兵の機密を掌握。趙彦深死後、機密掌握者は孝卿のみで清廉とされた。後主が斉州に至った際、孝卿と中書侍郎薛道衡(侍中・北海王)が後主に承光主(幼帝)への禅位を勧め、孝卿は詔策・伝国璽を瀛州に届ける任を負ったが鄴城に至り周武帝に帰順、入長安して納言上士、隋開皇中太府卿・民部尚書で卒。
  • 代人劉世清、祖父拔は魏燕州刺史、父巍は金紫光禄大夫。世清は武平末侍中・開府儀同三司として孝卿に次ぐ任遇を受け、四夷語に通じ当時第一とされた。後主の命で突厥語に涅槃経を翻訳、中書侍郎李徳林がその序を書いた。隋開皇中開府親衛驃騎将軍で卒。