北齊書卷二十 列傳第十二 堯雄

堯雄、字は休武、上党長子の人。驍果で騎射に善く財を軽んじ気を重んじた武将。豫州刺史などを歴任して辺境十年、寛厚な政と誠信をもって梁との攻防を戦い抜き、民に慕われた。興和四年、44歳で鄴にて没した。

年表(5件)
  • 永安中宣威将軍・給事中となり、都督として叱列延に従い劉霊助を討つ
  • 義旗初め従兄傑と共に髙祖に帰順し瀛州刺史となる
  • 魏武帝入関後大都督として髙昂に従い賀抜勝を穣城で破り三荊を転戦する
  • 興和三年徴還され十州の兵十万を統べ西南を巡行する
  • 興和四年鄴にて44歳で没する

堯雄

  • 堯雄、字休武、上党長子の人。祖父暄は魏司農卿、父栄は員外侍郎。雄は驍果で騎射に善く財を軽んじ気を重んじた。永安中宣威将軍・給事中・持節慰労恒燕朔三州大使、都督として叱列延に従い劉霊助を討平、鎮東将軍・燕州刺史・平城県伯(食邑500戸)。義旗初め従兄傑と共に高祖に帰順、雄は瀛州刺史に、傑は瀛州事代行に。魏武帝入関後、大都督として高昂に従い賀抜勝を穣城で破り三荊を転戦、二豫揚郢四州都督・豫州刺史。
  • 元洪威の潁州反乱・趙継宗の潁川太守殺害と自称豫州刺史を撃破、王長の反乱も行台侯景と討平。梁将李洪芝・王当伯を撃退し捕縛、梁将陳慶之の攻撃も撃退し二創を負いながらも慶之を退けた。慶之の南荊州包囲に対し、雄は白苟堆(梁の重鎮)を突く策を進言しこれを実行、慶之は荊州包囲を解いて退却、雄は白苟堆を陥落させ苟元広ら2000人を捕縛。元慶和の南境侵攻を南頓で撃破。潁州長史賀若徽の田迅捕縛・西魏投降事件に対し趙育・是育宝らと討伐するも西魏将怡鋒の援軍により延敬らが失利、育・寶は敵に降り、雄は散卒を集め大梁州を保った。
  • 周文帝が韋孝寛らに豫州を攻めさせた際、雄の都督郭丞伯・程多宝らが降伏し刺史馮邕とその家族を長安へ送ろうとしたが、雄の外兵参軍王恒伽・都督赫連儁らが樂口で奪還。丞伯を潁川太守とした西魏に対し雄は樂口を攻略し丞伯を捕らえ、懸瓠を攻めて刺史趙継宗を逐い、豫州事代行に復帰。西魏の是育宝(揚州刺史)・韓顕(義州刺史)が項城・南頓に拠るのを一日で二城とも陥落させ捕縛。侯景に従い魯陽を平定し豫州刺史。
  • 雄は武将ながら性寛厚で誠信の政をなし辺境十年に功績多く民に慕われ、賓客への施与も厚かった。興和三年徴還、司冀瀛定斉青膠兖殷滄十州の士卒十万を統べ西南を巡行。四年鄴で44歳で卒、使持節都督青徐膠三州軍事・大将軍・司徒公・徐州刺史を追贈、諡は武恭。子師が嗣ぐ。
  • 雄の弟奮、字彦挙。宣威将軍・給事中から中堅将軍・金紫光禄大夫、安夷県子。高祖の鄴平定・爾朱兆討伐に従い伯に進爵、南汾州刺史として胡夷に畏憚された。西魏行台薛崇礼の攻撃を撃破、崇礼兄弟を降伏させ相府に送った。驃騎将軍・左光禄大夫・潁州刺史で卒、兖豫梁三州諸軍事・司空・兖州刺史を追贈。雄の従父兄傑、字寿。軽率で酒を嗜み武用あり、高祖の紇豆陵歩藩討伐に功あり鎮東将軍・楽城県伯(食邑100戸)、滄州刺史。義兵蜂起で高祖に帰し鄴平定・爾朱兆討伐で侯に進爵。都督として樊子鵠に従い元樹を譙城で討平、南兖州事も兼ねたが取受多く、性果決で吏民に畏れられた。元象初め車騎大将軍・儀同三司、公に進爵、磨城鎮大都督、安州刺史で卒、滄瀛二州諸軍事・尚書右僕射・滄州刺史を追贈、諡は闕。